子供のための歴史講座19:足利義教の恐怖政治
いや~乱世乱世。時は1425年、場所は室町幕府。第5代将軍の足利義量(よしかず)の父、義持(よしもち)は危篤に陥っていた。将軍の実験は義持が持っていたので、義持の危篤は後継者選びに影響する。しかし義持は後継者の名前を口にせず、幕府は大混乱になってしまった。
※足利義教 |
娘「どうして死んじゃうの?」
死因は敗血症らしい。そこで幕府の重鎮達は、義持の三人の弟の中から、くじ引きで次の将軍を決めることにした。
娘「くじ引きって・・・そんなんでいいの?」
神社でくじ引きするから、神様のお導きってことにしたんだ。まあ、それだけ切羽詰まってたんだね。そして決まったのが足利義教(よしのり)だった。第6代将軍の誕生だ。世間からは「くじ引き将軍」と呼ばれることになった。
※くじ引きが行われた石清水八幡宮 |
娘「うーん、なんか間抜けだなぁ」
ところが足利義教は、間抜けどころか恐怖だったんだよ。癇癪持ちで、些細なことで激昂する性格の持ち主だった。これが酷すぎて記録が沢山残っている。例えば、
・献上された梅の枝が折れたから、庭師を罰した。
・儀式の最中に笑顔を見せた者に「将軍を笑った」と怒り、領地を没収した。
・気に入らない者の家にお祝いに行った者全員を処罰した。
・お酌の仕方が下手だと、侍女を激しく殴りつけて髪を切り、尼にした。
・説教した僧侶の頭に熱湯をかけ、舌を切断した。
・自分に不利な噂をする商人を、まとめて斬首した。
娘「これ、日本の話だよね?」
そうだよ。日本史に残る恐怖政治だ。これほどの暴君は、日本史にはあまりいないよ。ちなみに証拠はないけど、政敵の暗殺をしていた可能性も高い。
娘「なんかいろいろメチャクチャになってそう」
ところが、失墜していた幕府の権威を復興させて関東を制圧した。中央集権も確立したし、名将軍と評価する人もいるんだ。
娘「ふーん、でもこんなことは続かないよね」
その通り。赤松満祐(みつすけ)という武将とその息子の教康(のりやす)から、合戦の慰労と鴨の子供が沢山できたので見に来ませんか?と将軍を招き、そこで殺害した。足利義教は48歳でこの世を去ったのだ。
娘「天罰っぽいねぇ。その後、どうなったの?」
息子の足利義勝(よしかつ)が9歳で将軍になるけど、わずか8ヶ月後に亡くなってしまう。死因はいろいろ言われているけど、赤痢が原因らしい。そして今度は8歳の足利義政が将軍になった。
※第八代将軍の足利義政 |
娘「そんな子供で将軍ができるの?」
娘「んー、しかしこんなに怖い将軍が日本にいたなんて」
足利義教はくじ引きで選ばれたから、神に選ばれた絶対的な存在だと自分を思い込んだんだね。それに幕府の威厳を取り戻したい気持ちが強くて、暴走したんだろう。
娘「権力って怖いね」
だから近代になって、権力を分散したり監視する仕組みができたんだ。それはまた別の機会に勉強しよう。
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