子供のための歴史講座11:マリー・アントワネット

いや〜乱世、乱世。時は1770年、フランスのルイ16世が結婚した。お相手はオーストリアから来たマリー・アントワネットだ。はっきり言って政略結婚だが、結婚式はヴェルサイユ宮殿で盛大に行われた。ルイ16世は趣味が狩猟と錠前造りという、ちょっと変わった人物だが、当時は絶大な人気を誇っていた。



娘「その人、知ってる!パンがなければケーキを食べろの人だ!」

そうそう、そのケーキの話は後からするぞ。とにかくオーストリアからフランスにやってきたマリー・アントワネットは、フランスの風習に馴染めず自分の流儀で生活を始めた。

娘「それ、嫌われそう。で、なにをやったの?」

風呂に入った。

娘「ん?」

当時のフランスには入浴の習慣がなくて、体が臭くなると香水をふりかけてたんだ。ところがマリー・アントワネットは風呂好きで、毎日のように入った。

娘「まあ、お風呂は良しとしよう。他は?」

朝起きてから着替えるときに、服を一枚につき1人の従者がつく習慣を止めさせた。

娘「なんだかフランスって、面倒くさいんだね」

そういう面倒なのを止めさせたんだけど、それで反感も買ったんだね。役職によって使える便器の形が違うとか、そういうのをマリー・アントワネットはバカバカしいと思ってたんだ。

娘「お金をバンバン使って、贅沢してたんだよね」

ところが、案外そうでもないんだ。なにせマリー・アントワネットは、自分用の城を作らせていない。使っていたのは別の人のために作られた離宮で、当人が死んじゃって空き家になりそうだから使ってたんだ。その城では家畜を飼っていたし、案外アウトドア派だったりする。


※マリー・アントワネットが住んだ小トリアノン宮殿
確かに贅沢な暮らしはしていたけど、国の財政を傾かせるような浪費はしていないし、当時の貴族の基準からするとたいした金額でもないんだよ。

娘「でも贅沢三昧だったって本に書いてあったよ」

当時の新聞に書いてあるんだよ。マリー・アントワネットを嫌いな人達が、意図的にそういう噂を流したらしい。マリー・アントワネットは、結構嫌われていたみたいなんだよ。

娘「なんで嫌われたの?」

旦那のルイ16世が愛人を作らなかったから。

娘「意味がわからん」

その頃は、愛人を持つのは当然だったんだ。愛人は特権的な生活ができる代わりに、失政の批判を浴びる役割もあったんだけど、ルイ16世には愛人がいなかったので妻のマリー・アントワネットが批判を浴びることになったんだ。そして宮殿に出入りする人達は、国王の愛人になって影響力を手にしたいと考える人もいたんだよ。でも誰も愛人になれなかった。

一方で、マリー・アントワネットには愛人がいた。しかしこれもスウェーデンのフェルセン伯爵ただ1人で、マリー・アントワネットは愛人をとっかえひっかえしなかった。だから他の人達は嫉妬したんだ。

娘「んー、大人の事情はよくわからん」

つまり、マリー・アントワネットは外国かぶれで外国の流儀をやたらと持ち込み、国王には愛人もいないんで権力を独り占めにした嫌な奴に見られたんだね。

娘「なんとなくわかる。で、さっきのパンとケーキの話は?」

フランス国民が飢えて「パンをよこせ」と抗議している時に、マリー・アントワネットが「パンがなければケーキを食べればいいのに」と言ったという話だね。この言葉はフランスの哲学者ルソーの著書「告白」の中に出てくるんだ。恐らくマリー・アントワネットに批判的だった人が、この本のセリフをマリー・アントワネットが言ったことにしたんだと思われる。

※正確にはパンではなくブリオッシュと言ったことになっているが、現在ではブリオッシュもパンの一種。

娘「なーんだ」

そもそもマリー・アントワネットは、貧乏な人達のために募金を始めるような人で、家族への手紙の中にも「貧しいながら私達に尽くしてくれる人を見たら、これまで以上に身を粉にして働くのは当然のことです」と書いている。贅沢ボケした人じゃなかったんだ。

娘「いい人じゃん!」

しかし王政への不満を爆発させた市民にとっては、マリー・アントワネットは敵だった。捕らえられてギロチンで処刑されてしまう。

娘「なんとも残念」

人の噂や新聞に書いてあっても、そのことを鵜呑みにすると大きな誤解を招くことになるから気をつけようね。

娘「はーい!」




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