ソチ五輪の時に、モーグルの競技者の6割以上が
ID ONE(アイディー・ワン)という日本製のスキー板を使っていることが話題になりました。そして今回の平昌五輪では、ほとんどのモーグル選手がID ONEを使っています。日本製のスキー板がオリンピックを席巻し、今やID ONEはトップブランドになりました。今回話題になった下町ボブスレーとは、何が違ってID ONEは飛躍したのでしょうか?
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※ID ONEのスキー板を持つ上村愛子 |
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ID ONEとは
大阪でゴーグルなどのスキー用具を販売する会社を経営していた橋本誠さんが、2000年に立ち上げたブランドがID ONEです。大学でスキー部に所属していた橋本さんは、大会に顔を出しながら選手との人脈を築いていました。そんなある日、モーグルの上村愛子選手の「スキー板が合わない」という悩みを聞きました。長野五輪の銀メダリスト、ヤンネ・ラハラテも同じくスキー板に悩みを抱えており、橋本さんはモーグル用のスキー板を作ることにしました。
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※橋本誠さん |
橋本さんにはスキー板を作る技術はありません。そこで長野県の
小賀坂スキー製作所に製作を依頼しました。小賀坂スキー製作所は明治時代から続く中小企業で、高い技術力を持っています。さらに橋本さんは元モーグル選手の岩渕隆二さんを会社に招き、上村とヤンネのためのスペシャルメイドのスキー板の開発にとりかかります。
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※岩渕隆二さん |
上村愛子モデルの誕生
上村愛子との約束から2年の月日をかけて、試作品が完成しました。しかしそこからが苦労と改良の連続になります。ソルトレイク五輪で上村が6位入賞に終わると、橋本さんは上村選手と一緒に落ち込んだそうです。トライ・アンド・エラーを繰り返し、上村の繊細な感覚に合わせて板を何度も調整し、2006年に上村はFISワールドカップで日本人初の総合優勝に輝きました。世界女王となった上村は、ID ONEのスキー板でトリノ五輪に挑みました。
エアでコークスクリューを完璧に決めた上村が5位に終わり、「いったいどうすればオリンピックの表彰台に登れるのか・・・謎です・・・」と目に涙を浮かべながら語る上村に、橋本さんも一緒に悔しさを噛みしめました。その後もオリンピックに挑み続け、ソチ五輪で上村が4位に終わると悔しさを語りました。「愛子がメダルを取るためにブランドを立ち上げた。今回は絶対に獲らせたかった」
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※ソチで涙を流す上村愛子 |
まさかの結果に呆然とする上村を黙って抱きしめるしかなかった橋本さんは、ミスを連発した選手に上村以上の点を与えたジャッジへの不満と悔しさも抱きしめていました。基準がコロコロ変わるモーグルの採点に不満を見せながら、上村と一緒に不運を嘆きました。
いつの間にか人気急騰
ID ONEはフリースタイルに特化したスキー板で、ヤンネや上村の使用で知名度が高まりました。気がつけばソチ五輪では半数以上の選手がID ONEを使用し、メダリストの全員が使っていました。雪のコブに吸い付くように滑ると言われ、今やモーグルにはなくてはならないブランドです。上村愛子を勝たせたい想いは、いつしか他のモーグル選手にとっても優れたスキー板になっていたのです。
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※表彰台の全員がID ONEを持っています。 |
下町ボブスレーとの違い
橋本さんはモーグルのプロを雇い入れ、さらに高い技術力を持つ小賀坂スキー製作所に依頼しています。選手の感覚を製作側に伝えるのは容易ではありませんし、選手の要求がスキー板にとって正しいとも限りません。「エッジの効きが悪い」と言ったからといって、エッジに問題があるとは限らないのです。板の剛性やしなりに問題があるのではないか?滑るときの選手の癖に何かあるのではないか?そういった謎解きのような思考を繰り返し、何度も試作して試していかなくてはなりません。
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※上村のコークスクリュー ID ONEのロゴが写るこの写真は世界中に配信されました。 |
選手の感覚を理解し、それを製作に反映させるための言葉に翻訳する作業ができる人、できあがったスキー板の特性を選手にわかる言葉で伝える人が必要で、そのためにモーグルの選手だった岩渕さんに協力を求めました。一方で下町ボブスレーにはボブスレーの専門家や元選手がいたという話は聞きません。下町ボブスレーが負けたラトビアのボブスレーは数人で経営している小さな会社ですが、社長はボブスレーの元選手です。
そこに愛はあったのだろうか?
想像ですが、橋本さんは上村愛子の才能に惚れ込んでいたと思います。彼女は世界の頂点に立てる選手だと信じ、スキー板で悩む姿を見てなんとかしようと思ったのでしょう。なにより橋本さんはスキーが大好きで、競技そのものを愛しています。そして才能に惚れ込んだ選手のために、情熱を注いできました。
「成功するための一番良い方法は、自分の好きなことを見つけて、それを他の人のために行うこと」
以前紹介したオプラ・ウィンフリーの言葉ですが、橋本さんが行ったことは正にこれではなかったでしょうか。一方で下町ボブスレーは自分たちのために行っていたように思います。こちらの下町ボブスレーのスライドでも、先に自分たちがやりたいことが出ているのが気になります。
専門家、競技のプロ、そして競技愛情に加えて選手と一緒に悔し涙を流すほどの選手への愛情が、ID ONEの成功の鍵だったのではないでしょうか。
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