大統領選出馬が噂されるオプラ・ウィンフリーは何者なのか

世界で最も影響力を持つ女性、黒人女性唯一のビリオネア、アメリカ史上最も偉大な慈善家などと呼ばれるオプラ・ウィンフリーは、大統領選出馬の可能性を尋ねられて「そのようなDNAは持ち合わせていない」と否定しました。アメリカで最も有名なテレビ司会者であり、絶大な影響力を持つオプラ・ウィンフリーをご紹介します。



生い立ち

1954年、ウィスコンシン州ミルウォーキーに生まれました。未婚のティーンエイジャー・カップルの子供だったオプラは、親戚の家に転々と預けられながら育っています。9歳から親戚に性的虐待を受け、14歳で妊娠と出産を経験し、さらに子供は1週間後に亡くなるという悲劇を経験しています。

※ティーンエイジャーのオプラ

彼女の運命が変わるのは、16歳の時に「ミス消防キャンペーン・コンテスト」で優勝し、ラジオ局で行われる授賞式に出かけた時でした。原稿を読んだところ、その声がラジオに向いているとして、ラジオ局の仕事をするようになったのです。

キャリアのスタート

ラジオの仕事をしながら大学に進学し、在学中にCBS(アメリカ最大の放送局)のローカル局から声がかかります。こうしてオプラはテレビの仕事を始めるようになりました。しかしオプラは原稿を書くのが下手で、現場レポートには問題がありました。オプラは悲惨な事故現場などに出向くと、被害者に感情移入してしまい冷静なレポートが苦手だったのです。被災者に毛布を運んでいて、ディレクターに叱責されたこともあったそうです。

※CBS時代のオプラ

しかし話すのは得意で、1年足らずでローカル局のアンカーになります。そしてこの頃から現場レポートには限界を感じるようになります。オプラは常に「自分が本当にやりたいことは何?」と自分に問い続け、それは現場レポートではないと結論づけました。しかしニュースがメインのローカル局で、現場レポートができないのは致命的でした。オプラは降格されてしまいます。

トーク番組との出会い

ニュース番組から降格したオプラはトーク番組に異動させられました。この時、オプラはトーク番組こそ自分の居場所だと確信しました。報道では犠牲者に共感せずに客観的なレポートを求められますが、トーク番組はゲストへの共感が許されました。むしろゲストへの共感が視聴者の心に訴えるのです。



オプラがトーク番組を成功させると、シカゴのABC放送から声がかかりました。周囲は「シカゴは人種差別が激しい」「黒人で、しかも女性の君には無理だ」と言いますが、彼女は「心のGPS」に従ってシカゴに向かいます。そこで「AMシカゴ」というトーク番組の司会を任されたオプラは、番組を高視聴率番組に育て上げました。あまりの人気ぶりに「AMシカゴ」は全国向け番組にリニューアルされることが決まります。タイトルは「オプラ・ウィンフリー・ショー」でした。

オプラ・ウィンフリー・ショーの開始

1986年に始まったオプラ・ウィンフリー・ショーは、瞬く間に人気番組になります。当時はトーク番組といえばフィル・ドナヒューが司会を務める「フィル・ドナヒュー・ショー」が人気でしたが、オプラは瞬く間にフィル・ドナヒューの人気を上回りました。オプラは視聴者の心を揺さぶり、絶大な影響力を持つようになります。

※フィル・ドナヒュー・ショー

例えばオプラが紹介した本は、次々にベストセラーになりました。LGBTなどの性的マイノリティをオプラは世間に認めさせました。彼女が支援するか否かが、大統領選の予想を左右しました。視聴者数は4600万人を超え、アメリカの全人口の1/4以上が見ているモンスター番組となると、オプラの影響力はマドンナやレディ・ガガなどとは比較にならないほど強力なものになりました。

※オプラ・ウィンフリー・ショー

お節介な近所のオバちゃん

どれほど人気を得て、億万長者になってもオプラは市井の目線を取り入れることを忘れませんでした。マーサ・スチュワートも主婦の目線で番組を作り、一時代を築きました。しかし彼女は株のインサイダー取引が発覚し、金持ちクラブの特権階級にいることがバレてしまいました。オプラは細心の注意を払い、お節介でおしゃべり好きな近所のおばちゃんの雰囲気で番組を進めていました。

※墜ちたカリスマ主婦、マーサ・スチュワート

ですから性的マイノリティなどの問題を取り上げると同時に、ダイエットなども積極的に取り入れました。あらゆるダイエット商品を否定し、運動と食事制限だけで痩せてみせると豪語し、毎回のように番組で体重計に乗ってみせました。この頃はオプラの体重が下がると視聴率が上がると言われ、全米の主婦がオプラが体重計に乗るのを息をのんで見守っていました。一方で差別や性的虐待には敏感で、時にはゲストの話に涙を流しました。

慈善活動

ビリオネアになったオプラは、次々に慈善活動を行っています。これまでの寄付額は300億円を超えると言われ、慈善活動のランキングで1位に選ばれています。彼女は稼いだお金を自分以外の人のために使えば、それはまた自分に返ってくると信じていて実践しているのです。さらに寄付を募ることも多く、1ツイートで14億円を集めたと話題になったこともあります。

オプラは最貧困層出身のため、教育には熱心で小学校の建設などに多額の出費をしています。また自身の体験から、望まない未成年の出産などの問題にも積極的です。

オプラ・ウィンフリーの名言


成功するための一番良い方法は、自分の好きなことを見つけて、それを他の人のために行うこと

怖いものがあっても、
それ自体にわたしたちを支配する力はないわ。
それを怖がる自分の気持ちに支配されてしまうの。
真実を見つめれば、
きっと不安から解放されるわ。

準備万端の人にチャンスが訪れることを幸運と呼ぶの

気高さや真実を求めていれば、それ以外のことはあとからついてくるはず

間違いなく言えるのは、人に与えたものは自分に戻ってくるということ

今あなたが持っているものに感謝すれば、もっと多くのものを手にすることができるでしょう。もし、あなたが持っていないものを気にしすぎたら、決して満足は得られないわ。

まとめ

どんな人か、少しはおわかり頂けたでしょうか。オプラ・ウィンフリー・ショーは2011年に人気が高いまま終了しました。打ち切りに理由は不明で、オプラの体調問題では?などと噂されました。彼女の影響力は番組が終わっても健在で、そこで大統領選出馬の噂が立ったのでしょう。本当に出るつもりがないのかは、本人にしかわかりません。彼女の動向は、アメリカ大統領選挙に大きな影響を与えるかもしれません。


にほんブログ村 ニュースブログへ
にほんブログ村

コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

はじめの一歩のボクシング技は本当に存在するのか?

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

TBSが招いた暗黒時代の横浜ベイスターズ /チーム崩壊と赤坂の悪魔